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2010.3.18

過疎を防ぐ、農業を守る、文化を守るということは、

現在の状態を維持するという意味においては、一見受動的な行為の

ような気がするのですが、実はその逆の意識こそが重要なんだと思っています。

能動的思考においてこそ守られるものだと確信しています。

私たちは、集落や国家という共同体を形成し、枠の中で生きることで

つつがなく生活してきました。しかし時とともに枠の中がすべてと

なってしまい、自分たちの価値観の外の事は、平和を乱すことだと

聞く耳を持てなくなります。いったん内向きの思考回路に陥ってしまうと

そこから脱却するのは相当大変です。そうなってしまった場合、とにかく独創的な

発想と行動が必要なのだが、そもそも内向きの人達がそれらを生み出すことは

できませんし、当然受け入れることもできません。そうこうしているうちに、

創造力、行動力のない社会が出来上がり、抜け出すことが不可能に

なるということです。これが現在の田舎の問題であり国家の問題です。

昨年、大豆の栽培を始めました。インターネットから、育て方の

マニュアルを入手することはできましたが、そこになんら創造性を感じない

のです。マニュアル通りにやればできる料理本が氾濫している社会、

情報の受け手に慣れ甘んじてしまった私たちには、いろいろ挑戦すること、

能動的に行動することができなくなってしまったのだとしたら

こんなに恐ろしいことはないと思いませんか?

見て見ぬふりをするという言葉があります。これは内向きな社会が

生み出した典型でしょう。電車では、席を譲りましょうといったアナウンスが

流れるようになり優先席が必要になる。これが受動型社会の特徴なのです。

じゃあどうすればいのでしょうか? まずは、思ったことを“行動に移す” ことです。

行動の中から見えてくる事実、問題に向きあっていくことです。

それが、クリエイティブという事であり、受動的思考からの脱却の第一歩に

なるのです。そうやって時代が切り開かれ文化が守られていくのです。

創造性にあふれたクリエイティブな社会が創られていくのです。

そんな社会の一員であることを願ってやみません。

2010.3.13

3月も半ばにさしかかり、そろそろ春の陽気かと思いきや

雪が降ったりしてなかなか春を確信できずにいる今日この頃

みなさまいかがお過ごしですか?

ここ最近といえば、すっかり田んぼから遠ざかっているからか

みんなどことなしか落ち着きなく道具の手入れをしたり様々な準備をして

高ぶる気持ちを落ち着かせているかのようです。

我が集落の田んぼは、都会の田んぼと違って大掛かりな工事によって

作られた田んぼではありません。よって集落の人達同士が助け合いながら

農業や土木工事を自分たちで行い集落運営をしているわけです。

実は今、そんな何百年も続いた生活文化を失ってしまうかもしれない

瀬戸際の状態にあると感じています。

それはいわゆる限界集落の問題だけに留まらず、ごく普通の集落にも

いえることで、この先十年ではっきりと明暗が分かれることでしょう。

崩壊という言葉はとても暴力的な印象を受けますが、

まさにその言葉がぴったりなのです。

正月の行事から始まり、一年を通して行われる祭り行事も

すべて、農耕行事から起こった土着の文化です。農家がいなくなった集落は、

祭りも何も、集落の枠組みすら必要ないわけで、まさにアイデンティティの

危機ともいえるわけです。私たちが私たちである理由を失うわけには

いかないのです。美しい里山の風景を誇りに感じながら

堂々と受け継がれた土地を踏みしめて歩み続けたい。

北陸の冬は長い。決して過ごしやすい環境とはいえない。

それ故、春前になるとその反動で気概に満ちたこのようなことを

言いだすのだろうか? いや、決してそうではありません。

私たちは、私たちであり続けたいと願う、それだけのことです。


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